前回に引き続き、人間関係は難しい。
内面と外面、身内にしか見せない部分と、社会で見せる部分、個人差はあれど大なり小なり人それぞれあると思います。
状況に合わせて猫を被る、という表現の方が個人的にはしっくりきます。
猫を被ること自体は悪いことではないと思ってます。
とある書籍の言葉をお借りするなら、その時得られる利益を最大化する為にどこでどんな猫を被るか、ではないかと思います。
ただ、この猫が厄介なのですよね。
間違いなく第一印象になるからです。
良い印象を得ようと、本来の自分とはかけ離れた仮面をかぶるとおいおい自分を追い詰めることになる。
かぶり過ぎた仮面は自分にとって重荷にしかなりえなくなる。
あとは、親しくなった時に起こるズレでしょうか。
仲が良くなればその分、素の部分を見せていくことが多くなっていくことかと思います。
その時今まで見ていていた仮面とのギャップがあると、「騙された」、「そんな人だとは思わまかった」などと評価されます。
このことに関して意見したいのですが、なんでその人のすべてを理解したつもりでいるのでしょうか。
先にも述べたように、大なり小なり人は猫を被りますし、親しい間柄だからこそ知られたくないという方だっていると思います。
「この人はこんな人だ」というのは、今まで接して得た情報でしかなく、その情報だけを鵜吞みにして相手に押し付けるのはただのエゴでしかないと考えます。
まだ知らない一面があるかもしれない、その見せてくれた一面を大切にしていくことこそが重要なのではないのでしょうか。
まあ、こればっかりは人それぞれなのですがね。
十人十色、千差万別、人の数だけ価値観と性格、人格があるので一人一人とコミュニケーションをとり、時間をかけ理解していくしかないと思います。
それが大変だからこそ、苦労するのですけど、、、。